Bartok Gallery  アーティストへの道
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 第3話 『人生寄り道イバラ道?!』 二コラ


みなさんこんにちは,
私は立体造形をやっておりますNicola(ニコラ)と言います。
現在34才ですが、実際立体でのお仕事を始めたのはつい3年程前の話です。ちなみにニコラと言う名前は、発音した時口の形が「ニッ」と笑ったようになる為、私を呼んでくれる人がハッピーになれるといいな、と思い名付けました。

普段もスロースターターですが、今回今まで寄り道の多かった私の体験談をこれから色々始めようとする方に向けて書かせて頂く事となりました。立体とイラストの世界は少し違うとも聞いてますから参考になるかどうか解りませんが「こんな人間もいるんだ」と時には自信を持ち、時には参考にして頂ければ幸いです。



(子供時代)

出身は北海道の札幌。当時家の周りには自然が多く、近所の馬に餌あげて遊んだり、蛙の卵ハンターになったり、ドングリ収集して虫がわきヘコんだり、と忙しい野生児でした。現在自然素材を使う機会が多いのもこの頃の影響でしょうか。



(進路に迷う)
絵が好きだったので高1になると選択科目で美術をとりました。同時期初めて「創作人形」の世界を知り(←四谷シモンさんの展示にて)、こんな世界があったのか!とド肝を抜かれました。同時に創作人形教室の存在も知り、凄く行きたくなりました。その時まで大学は英文科に進もうと思ってましたが人形学校を知って以来、どちらに進むべきか本気で迷い続けました。結局運に任せ、「大学は1校だけ受け、落ちたら人形学校に行く」事に。家の中での私は「頑固一徹」と呼ばれてたので、親も呆れながらも承諾してくれました。



(神戸に行く)
結局大学に受かった為、そちらに進む事になりました。人形学校に未練もありましたが高校の神父さん(中・高とミッション系だったのです)の「今後人生の選択で迷ったらいばらの道を進みなさい」と言う言葉を思い出し、私にとってのいばらの道を選んだのです。

大学は神戸女学院大学と言う所ですが、入って初めてお嬢様学校である事を知ります。入学早々雰囲気に馴染めず、様々な疑問が私の中を渦巻き、周囲に対し自分からも壁を作るようになりました。その為入学1年目から美術学校に入り直す為、あちこちに資料請求をして検討する毎日を送っていました。既にこの時私がやりたい事は「人形」では無くなってました。部屋で粘土をこねたり絵を描いてる内に、作る事全てをしたくなっていたのです。

学校は何も大学だとか専門学校だとかに拘ってませんでしたが、どんなに探しても「ここだ!」と思える学校が無い。自分で「ここだ!」の基準が何なのかも解らない。見つからないまま月日だけどんどん流れていきました。



(1本の電話)
仮面女子大生(?)を続けてたある日、私がとても憧れてた女性から電話がありました。彼女は数年前からN・Yのウォールストリートで働いてました。私が最近の落ち込みっぷりを話すと「あなたの好きそうな事はN・Yにしかないわよ、とっととこっちに来なさいよ」との事。N・Yはウルトラクイズのイメージしかなく全く興味が無かったのですが、何にでもすがりたい気持でその瞬間渡米を決意しました。



(退学そしてN・Y情報)
その時既に私は大学3年。3年間も棒に振ってしまった、と自分に腹が立ちましたが決心すると早いものでそこからの行動は一気に火が点きました。親には反対されましたが、私も「頑固一徹」なので説得に説得を重ね続け、とうとう退学しました。

この辺から怒濤の日々を送る為細かい事はもはや忘れてるのですが、一応留学を考えてる方の参考になれば、、と言った気持で書きたいと思います。情報は14年も前なので、現在かなり変わってるかもしれない事をご了承下さい。

初めは情報集めの為だけにN・Yへ行き、その間安宿に泊まりました。私にN・Yを勧めた女性は全く私に手助けをしませんでした。つまり「自分で全て出来なきゃこの先ここじゃ何にもやれないよ」と言う事です。これは全くもってその通りです。

学校の情報は気になる学校に足を運びカタログを貰いました。現在はネットがあるからその手の情報は日本で得 られるはずです。ただ注意したいのは学校によって得意分野が違うし生徒の特色も全く違います。同じダウンタウンでもオシャレ系やバンカラ系などあるのです。これは実際に校内に入り観察しないと見えてはきません。

私は特に立体がやりたかったのでSchool of VisualArtsと言う学校にしました。学部で言うとFineArtsです。入りたい学校が決まれば語学力を証明する物を始め外国人に必要な条件を聞いて揃えます。学校によって若干の差があるでしょう。私は日本で3年大学に行ってたので向こうにも存在する「一般教養」みたいなクラスは消化できました。授業内容がいまいち説明だけじゃ解らない人は、一般向けの単発のクラスをとって見るのも手かもしれません。



(学校生活)
学部にもよるでしょうが、私の行った学校はとにかくキテレツでした。髪型が変なのは当たり前で、眉毛に釘をピアスにして刺してる生徒やタトゥーだらけの生徒など、通ってると慣れてしまってそれが普通に感じました。授業中に手作り水タバコを吸ってる生徒もいました。さすがに注意されてましたが。そんな中私は初めて居心地の良さを感じました。(ちなみにどの学校にも言える事ですが、日本人を含むアジア人の数は大変多いです。語学留学が目的で来て英語学校で8割が日本人だったとガックリする日本人の方もいました。)

日本の美大の事は解りませんが、少なくとも私のいたクラスでは例えば構図の書き方、デッサンの仕方等テクニックに関する事は教わりませんでした(イラストのクラスの事は分かりません)。だからテクニックを学ぼうとする人には向いてないと思います。生徒が描いている絵を元にあれこれ話し合い、「だったらこういうやり方の方がいいかも」と言う感じです。どちらかと言うと、それを制作した本人の話を聞かせて、という感じです。

私のとったクラスのインストラクター方はいわゆる上手い構図のとり方だとかはむしろ「つまらない」と言って嫌う傾向にありました。生徒一人一人の作品を前に全員でディスカッションするクラスも多かったです。これには毎回緊張させられました。下調べして何とか発言できても質問が上手く聞き取れず四苦八苦する事が良くありました。課題では毎週絵を仕上げる為、キャンバスばかり買う訳にいかないので私は毎日「いいゴミ」を街中で拾い集め、木箱や板、洗濯機の蓋、マネキンや置物などにペインティングして持って行きました。「いいゴミ」を巡り、ホームレスと取り合った事もありました。今考えれば大人げなかったと思います。

写真、グラフィックデザイン、ドローイング、ペインティング、エッチング等、色々受けましたがやはり私は彫刻(立体)のクラスが一番燃えました。彫刻のクラスと言ってもパフォーマンス等もその中に含まれており、つまり何でもありなのです。私は靴下を初め布を使う事が楽しくて楽しくて卒業するまであらゆる布を使っていました。



(制作のテーマ)
立体作品を作る課程で、私には次第に一つのテーマカラーが出来てました。それはピンク色です。N・Yに来てやはり自分が日本人である事を意識した時、一体私達に共通する色って何だろうと思ったのです。見かけはバラバラでも一皮むけばその下はピンクじゃないか。そこからピンクがテーマカラーになりました。それなら血の赤・骨の白でもよかったのでしょうが、私にとって「肉と言うピンク」は当時生命力とコミュニケーションを象徴する色だったのです。現在もその流れを汲んだ作品を作る事があります。



(普段の生活)
N・Yでの生活、と言っても苦学生には変わりません。オシャレな高級レストランやイベントとは無縁でした。物価は東京と変わらないと聞いてた通り決して安くはありませんが、探せば安くて美味しいものも沢山あります。名物のベーグルはクリームチーズが入って1ドルと苦学生の味方だったので毎朝食べました。皮ごと食べられるブドウも毎朝1ドルで一房買って持って行きました。家では簡単な自炊をしたり、仲良くなった先生が「出世払いでいいよ!」と毎週ランチをおごってくれました。未だに出世払いできてないのが申し訳ないです。



(4年生の特権)
4年生になると簡単な作りですが、生徒一人一人にスタジオが与えられます。皆この日を心待ちにして頑張ってきたのでこれ程嬉しい事はありません。スタジオは自分専用なので、壁を塗ろうが何しようが勝手でした。私も早速全面ベイビーブルーにしてみたりピンクにしてみたり、コーヒーメーカーを設置してみたりして、ほぼ一日をそこで過ごしました。スタジオによって5畳〜8畳程と大きさにバラつきがありますが、今まで制作後の作品の置き場に困ってた身としては天国のようでした。ここで最後の卒業制作の発表も行われました。



(進路に迷う)
卒業を控えていたある日、たまたま大学院を通った時にアートセラピーの存在を知り、しかも大学院でしか教えてない事を知りとてもやりたくなりました。しかし大学院など経済的に無理。こちらでバイトと両立できる程自分は要領が良くない事は分かってました。これまでもバイトをしたなら決して両立できず卒業できないであろう事が分かってたので、バイトはせず親に借金をして負担を掛けてしまってたのです。アートセラピーに恋い焦がれたまま、結局諦める事にしました。



(卒業そして婚約)
無事卒業式を迎え、両親にはとにかく帰国して、と言われたので帰国準備。同じ頃、今となっては何故か、婚約者ができました。彼はN・Yで働いてたので、私だけ帰国しました。帰国後初めて東京に住みました。



(帰国後)
帰国後早速制作を始めたかったのですが、まずは両親への借金返済や今後の生活費などなんとかせねばなりません。そこで婚約者に翻訳のバイトを回して貰い、暫くの間それ中心の生活を送りました。制作しても置くスペースが東京の部屋にはまるで無いのと、画材が日本だととても高く、お金が底を尽きた自分には手が出なかったのも制作から遠のいた原因でした。



(結婚)
私は元々30まで結婚するつもりは無かったのですが、周囲の雰囲気からあっけなく結婚する事になりました(当時26)。制作には非常に理解を示してくれる婚約者だったので、安心してたのです。この誤解が結果として私を更なる回り道に至らしめたのですが。



(いばらの道再び)
いばらの道は私にとっていつも良くない選択に思えます。神様は私をどうしたいのか、本気で悩んだ頃です。

結婚生活は初めの1年はN・Y、その後は東京でした。表面だけ見ると周りが羨む生活と言えましたが、その間とても制作できる状態では無い上、様々な事情が重なり、あらゆる疑問が私の中で渦巻き、精神と肉体が疲労のピークにあった時期です。



(カラーセラピー)
表に出るのも怖くなってしまった頃、これではいけない、と何か始める事にしました。とにかく外に出なくては・・。カラーアナリストのクラスをとってみたり色彩検定を受けたり、その後ようやく「カラーセラピー」と言う、以前やりたかったアートセラピーの様な学校があるのを知り通ったりしました。カラーセラピーとは文字通り「色彩療法」の事で、私が学んだのは色彩心理学と言うものです。なんとか必死で終了させました。しかし、この先セラピストとしての修行を積むかと言う時に「セラピーを必要としてるのは他の誰でもないこの私なんだ」とやっと気付きました。こんな私がセラピストになろうとは、何ておこがましいと。そこから私は改めて自分と向かい合い、本当は何をしたいのかよくよく考える事にしました。



(制作再開する)
やはり制作がしたい。制作がしたい。結局それしかありませんでした。家では邪魔になるだけなので今までの様に大きな作品は作れません。なので小さなものを。。と意識しながら日中時間を作っては小さな作品を作り始めました。これらは私がパワーを分けて貰い楽しく元気になれるよう、完全に私の為だけに作ったものでした。

彼らは羽をはやしていて、元気が出るように大好きな唐辛子を頭に差した生物です。実際作ってる間は楽しくて愛おしくて時間が経つのを忘れました。これら唐辛子の精を私は「チリチリベイビー」と名付けました。

チリチリベイビー




(売りに出る)
部屋の隅でチリチリベイビーはどんどん増殖していきました。置き場所に困り、ある日友達に話をすると「販売してくれるギャラリーがあるよ」との事。人と話すことがすっかり恐怖になっていた私に変わって友達がギャラリーに電話をしてくれ、後で納品に行きました。彼女の助けは弱ってた私にとって本当に有り難いものでした。



(離婚する)
ギャラリーで作品が売れてた事を知った時には感動しました。自分の為に作った作品でも喜んでくれた人がいる。その人に直接会ってお礼を言いたい気持ちでした。同時にその人に心から「幸せになって!」と言う気持ちで一杯でした。しかしやがてそこのギャラリーは閉店してしまい、その後少しして私は離婚しました。



(死んだ私・生き返った私)
その後は暫く実家にいました。この時私は一度自分が死んだと思っています。心も体も例えようの無い状態で、ガサガサの砂嵐のような色をしてました。

落ちる所まで気持が落ちましたが、それを何とかする力はどこにも残ってませんでした。しかし、人間は本当に強い。何日もとことんその状態でいると小さくも新しい力が芽生えてくるのです。

そのうちショッキングピンクの血がブワァァアアアア!と自分の中から一気に噴き出してくる感覚を覚えました。その血の勢いに操られるようにして、私はものすごく色を浴びたい衝動に駆られ、家中のショッキングピンクの絵の具をかき集めてその辺にあった板に塗りたくりました。無我夢中でした。この時自分が再生したんだと確信しました。



(再開する)
そこからの立ち直りはとても早かったです。こうしてはいられない、せっかく制作できる環境になったんだから、とチリチリベイビーやその仲間を沢山作っていきました。前回置いて頂いたギャラリーが主催している「デザインフェスタ」が数ヶ月後にあると知り、急いで出店する事にしました。何でもいいから今自分に出来る事をしなきゃ。久しぶりに行動的な自分がいました。



(初出店する)
初出店でしたが約150体ほぼ完売しました。買ってくれた方が心から幸せになれるように心を込めて制作したので、本当に嬉しかったです。色んな会社の方が来て興味を持って下さったのも嬉しかったです。前回ギャラリーに電話してくれた友達も売り子さんとして手伝ってくれました。現在私がお世話になっている会社の方との出会いがあったのもこの時で、その日から今までお付き合いが続いてます。



(仕事内容)
現在までの私の仕事はマネージメントして下さる方と話し合いをしながらお任せしています。これまでにチリチリベイビー達がプライズ商品化されたり、そのパペットがドラマに出演したりしました。その他では現在NHK教育番組「にほんごであそぼ」のわらべうたのコーナーで人形制作をさせて頂いてます。



(作品について)
大学の時から今まで「楽しく作る」と言う気持は変わってません。加えて私は自分は1度死んだ!と思ってるので、それ以来「生かされる喜び」がテーマになっています。この環境になるまで本当に周りの人々に助けられてきたので、皆が少しでもハッピーになってくれたら、と言う感謝と恩返しの気持を込めています。素材は現在も布や粘土、自然素材又はその逆でラインストーン等を使用する事が多いです。

作品を作る際、アートなんだから自分だけ解ればそれでいいんだ、と言う意見を耳にする事がありますが、それは時に独りよがりになりかねない非常に難しい事のような気がします。その人の自由なので、その考え方が悪いとは思いませんが、もし留学を考えているのでしたら、向こうの大学では嫌と言う程作品に対する考えや説明を求められる事があります。その時自分さえ解れば、という考えはなかなか理解してもらえないかもしれません。



(これから)
長々と書いてしまいましたが、もし、なかなかやりたい事にたどり着かない、と言う方がいても、私の様な人間もいる事を思い出してどうぞ自信を持って下さい。

誰もが言う事ですが、一番大切なのはやはり「やりたいと思う気持・情熱」です。気持があれば時間が掛かっても環境を変える事は可能です。それと、「テクは後からついてくる」。これはN・Yの先生も言ってた事で、ああ万国共通なんだな、と励まされました。

私は基本的に前向きな性格とは言えないので、悩んだだけで1日経ってしまった!なんて事もよくあります。でも悩むのは皆同じです。私はまだまだ発展途上で、自分の中で課題は盛りだくさんですが、時間が掛かっても1つ1つ精一杯丁寧に向かい合っていくつもりです。精一杯やった後なら・・・もう神のみぞ知る、でいいと思います。

ではお互いに幸せになれますように!この文章の中に皆さんにとって何か参考になる事がなればこんなに嬉しい事はありません。




Nicola (ニコラ)  
          ヘッポコ造形・人形作家
        
          札幌生まれ
          神戸女学院大学中退
          School of Visual Arts(専攻・彫刻)卒業

          主にクレイ、布を中心とした作品制作。
          
「ニコラ」は発音する時口角が上がる為につけた作家名。
          ウレシイ!タノシイ!気持を大事に大切に、
          気高いヘッポコスピリッツに乗っ取り
          「ワクワクでキュ〜ン♪」
          な世界と作品作りをモットーに只今精進中。


<主な活動>         
  
  
          *ニコラによる「生きて生かされる喜び」の世界、
          「Nicola Lacola(ニコララコラ)」のキャラクターが
           システムサービス株式会社より現在プライズ商品展開中
          (現在出荷中:ぬいぐるみ,ぬいぐるみBigSize,
                 マスコットキーチェーン
           2月出荷:パペット, 6月出荷:コインパース)

   
          
          *TV東京25:00〜25:30 ドラマ
          「陽はいつか昇る〜下北沢アパート物語」(10週間10話放送)
           にパペットのチリチリドギー出演      
   
  
           
          *NHK教育テレビ「にほんごであそぼ」
           わらべうたのコーナーにて人形制作 

           ♪もぐらどん 
           ♪はやしのなかから 
           ♪からすかずのこ 
                      ♪じごくごくらく
           ♪いちわのからす
           ♪いちにのさんものしいたけ
           ♪うちのせんだんのき

Nicola Lacola official site: http://www.nicolalacola.com/
個人HP: http://www2.odn.ne.jp/~cfg87620/
(ニコララコラのオフィシャルHP)
    

          





















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