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第12回 アーティスト対談 『学生の時から爆発しっぱなし〜』  

 海津宜則 http://www.kaizu.com/

(ジェイン)出身は

(海津)東京、世田谷。生魚が苦手だけど江戸っ子。だから帰省する場所は世田谷。

(海津)親は、表具師(屏風や掛け軸を制作する専門家)


(ジェイン)あと、継がなかったの?

(海津)都会で屏風や掛け軸を飾る部屋のある家を探すのが難しいご時世ですからね。それを高校の時に予測しちゃったので。

(海津)だから継いでも、生活できないと思ったから、大学も法学部に入学したんだ。ちなみに高校は化学工学専攻。だから計算尺とか持っているわけ。
定規マニアなのだ!


(海津)大学はすぐ辞めちゃったけどね。


(ジェイン)それからどうしたの?

(海津)カメレオンのように軌道修正して建築学部を受けようと思って浪人したわけ。普通は文系から理系にシフトしないけど、私は気にしなかったわけ。気分かもね。

(海津)で、一応合格はしたんだけど、すべり止めに冗談半分に願書だした専門学校(多摩芸術学園)も。話のネタに受験してみたわけ。ところが当日遅刻したのに受験させてくれ、抜き打ちデッサン試験(新聞紙を丸めたモノを描け)があったり、面接では30分も話し込んでしまったりと、結構新鮮な事件が連発したのでブラックホールに吸い寄せられるように、ココへ入ることにしたんだ。人生何が起こるか分からない。


(ジェイン)それで、専攻は

(海津)多摩芸術学園は絵画、演劇、芸能美術、映画、写真、デザインの6学科あり、私はデザイン科。ちなみにデザイン科は工芸、グラフィック、インテリアに分かれていたんだけど、私はグラフィックデザイン科。ところであとで知ったんだけど、同時期に俳優の佐藤浩一さんが映画科に在籍していたらしい。父である三国連太郎さんとともに好きな俳優さんなのでちょっとびっくり。

(海津)当時、デザイン科の学生が一番多くて、入学したときは80人だったけど、卒業のときは40人ぐらいになっていた。


(ジェイン)そんなに厳しいの。

(海津)出席は当然で、課題を出せないとアウトだし、卒論が通らないと、卒業制作させてもらえなかったくらい難しかったの。でも、それは大学じゃないから世間的には甘いルールだと私は感じていたので、全然辛いとは思わなかった。

(ジェイン)課題って大変なんだね。

(海津)課題は毎週のように出たよ。

(ジェイン)何年通ったの?

(海津)3年制を3年で卒業。

(海津)成績は後から聞いた話では主席だったらしいんだけど、イラストレータ専攻でずっと可愛がってくれていた先生が卒論の時になって突然「こんな下品な絵の奴は卒業なんかさせられない」っていいだして大問題になり・・・。


(ジェイン)そんな事って…?

(ジェイン)卒業出来たの?

(海津)他の先生たちが「論理的な理由もなくそんな事は出来ない」といって騒いでくれて、色々あったけど卒業できたんだ。そのとき拾ってくれた先生がエディトリアル専攻だったのでイラストレーターになるのは諦めたわけ。

(ジェイン)主席だったんでしょ?

(海津)そうだったらしいと、あとで教務の先生が教えてくれた。別に何事もなく主席だったとしてもそれは何の意味もないと思いますよ。実社会に出たら。剣道の達人が戦場(いくさば)でも達人でいられるかは疑問ですからね。

(ジェイン)そんな事があったら、学生時代は嫌な思い出?

(海津)いいや、逆ですね。3年間は爆発しまくっていた。

(ジェイン)どんな事。

(海津)希望者だけが専攻する選択の講義や単位をかたっぱしから受講したりした。また、学園祭はそれまでなくて、自分達の頃にやろうって事になったので実行委員になり、かけずり回ったのがとても懐かしい。会期中には映画科のワイドショーにも出たし。

(海津)実は学際の名前はぼくが名づけ親(笑)

(海津)「長月祭(ながつきさい)」

(海津)たとえば写真好きな仲間達と写真の展示をしようという事になったんだ。

(海津)だけど、お金が無い。

(海津)展示方法をどうしようかと悩んで、

(海津)一つの部屋を天井から床まで全部を新聞紙を貼って覆ってしまったんだ。

(海津)それで、そこに直接写真のプリントを飾ったんだ。

(海津)斬新で、とてもよい出来

(海津)写真の道具とか、プリントの現像とかは、写真部に行って借りてやった。


(ジェイン)それで

(海津)ところが、展示は教職員には馬鹿受けだったが、写真学科の学生達から睨まれちゃったんですよ。生意気〜みたいな感じで。

(海津)デザイン科の学生が日頃から写真学科の暗室や機材を占領した事が問題だったようだ。

(海津)それで、「こんなのは、写真じゃないと言われて…」

(海津)こんな事もいい思い出。可能だったら今も学生でいたいとさえ思う。私にとっての3年間は、まさに水を得た魚のごとく爆発しまくっていたというわけ。また、学科が学科なので親からはアルバイト禁止令も出て課題や勉強だけに集中出来たのは凄くラッキーでした。そういえば、映画科の作品に俳優で出演していたこともあったんだよ。詩人の役だったけど設定がイマイチよく理解出来ていなかったけど。


(ジェイン)卒業してから直ぐフリーで仕事していたの?

(海津)卒業後はお決まりのパターンでデザイン事務所に就職したの。

(海津)実は卒業の時、就職する気はなくてしばらくアルバイトで生活しながら学校に残ろうと考えていたんだ。ところがエディトリアル専攻の先生から大手の広告代理店と小さな(社員10人位)デザイン事務所なら推薦してもいいと言われて小さい方を選んだのがプロのスタート。


(ジェイン)どうして小さい方選んだの?

(海津)大手にいったら、自分は駒でしかないでしょ。自分に突出した才能なんて無いと思っていましたから小さいところで自由に出来たらと。

(ジェイン)そこでの仕事は?

(海津)CIやパッケージの専門会社だったのでそれに関連した仕事が面白かったんだ。商品モニター調査用のスライドづくりで実際に撮影をしたこともあった。それとよくやっていたのが、有名な先生の代わりにプレゼン用のイラストを描くこと。決まったら、本物の先生が書くんだけどね(笑)。ほとんど影武者。

(ジェイン)今だったら、考えられないね〜。

(海津)著作系違反だよね。もちろん外には出さないけど、いきなり頼んだらラフだけで怖い請求書きちゃうし。

(ジェイン)誰か海津さんのプレゼン用イラスト描いている人いるのかしら〜?

(海津)いるわけないでしょ〜。

(ジェイン)いろんな人のタッチが描けるよね。

(海津)いい練習になったと思う。とにかくここでの3年間は私にとって色々なことを学べた時で、とても重要な意味がありました。

(ジェイン)私の友達も、ピングーキャラクターデザインの仕事で、イラスト沢山描いて絵が上手になったって話していました。

(海津)その後、1年間別の会社で嘱託をしてから完全なフリーになったわけ。

(ジェイン)コンピューター始めたのはその頃から?

(海津)そう。コンピュータとの出会いもこの時。ちょうど20年ちょい前だけど富士通のFM-8というパソコンを使って、新郎新婦の名前をレザーで天井に描く機械に関係したカタログの仕事に関わったのが運の尽き。実験に立ち会ったりして楽しかったけど、突然そのパソコンが欲しくなったの。そしたらプログラマーの人が、もう少ししたらも半額で、もっと高性能なのが出るって教えてくれたからまじめに待った。それが富士通のFM-7だったわけ。

(海津)とにかく、安くて高性能な新しいパソコンが出るまでの間、我慢出来ずにカシオの小さなプリンタ付きポケットコンピュータ(電卓ぐらいのサイズ)を買ってプログラムを勉強したんだ。バイオリズム計算とか仕事にまったく役立たないプログラムで。今にして思えば稚拙なものだったけど、とっても新鮮だった。

(海津)そうそうこしているうちにFM-7がリリースされて遂に購入したわけ。その2世代目をタモリがCMで宣伝していたので知っている方も多いはず。


(ジェイン)え〜、わかんない。

(海津)えっ、世代そんなに違います?(汗)

(海津)10何万位だったのかな〜。

(海津)まだカセットテープの時代だったのでワープロソフトも単漢字変換。いきなりインターネットから入っている今の方達には理解できないと思いますよ。


(ジェイン)フロッピィの間違いじゃないの?

(ジェイン)カセットテープの頃があったんだ。

(ジェイン)へぇ〜。

(海津)途中からフロッピーディスクとプリンタを買ったけど、ワープロもまだまだ熟語変換レベルで実用的ソフトは皆無だった。とにかく当時は色々とプログラムを打ち込んでは毎日のように徹夜しても平気な体力があった頃だね。

(ジェイン)古いんだね。コンピューター始めたのって

(海津)ワンボードマイコン時代からやっている人からみたら新参者だよ。で、とりあえず、キーボードアレルギーになったらいけないと思ったんだ。だけど、高校生ぐらいから英文タイプを使っていたのでキーボードアレルギーになれるはずもなかったわけ。

(ジェイン)それが、今はみんなの先生なんだ。フ〜ン(納得)。

(海津)先生じゃないよ。まだ単発のセミナーぐらいしかしたことないから。大学とか高校の講師ならやってみたいと思うけど声が掛からない。多分気むずかしいと思われてるんだと思うよ。人に教えるの好きなんだけどね。

(海津)ところでコンピュータを手に入れた頃、今思えばシンプルすぎるCG(数億円の機材とかで作った動く立方体とか円錐のような感じのもの)みたいなのをあある発表会で見て、もしかしたら自分が70歳ぐらいになったら、デザイン業界もコンピューターの時代になるんだろうと思ったわけ。だから今のうちからなんとなく馴れておこうと。


(ジェイン)大昔の思い出みたい。そんなに古い話しじゃないのに。

(海津)ほんの数年前の話ですよ(汗)。でも実際にはそれより何倍も早くコンピュータは進化してしまったわけ。とにかくMacに行き着くまでに8台ぐらいパソコンを買い替えたのは勢いとはいえ凄かった。最後はそれなりにちょっとしたプログラムを作ってプリンターと連動させ、欧文写植指定を有利に進めたりした活用をしていたんだけど、まだまだグラフィックに使うなんて考えても見なかったけどね。

(ジェイン)どこから変わったの?

(海津)やっぱりポストスクリプトだね。画期的なポストスクリプトエンジンを搭載したAppleのLaser Writer II NTX(英語版)の登場がターニングポイント。この300dpiで100万円のプリンタを使いたいためにMacintosh SEを買ったわけ。全部英語の世界。

(海津)あとは海外から雑誌を定期購読し、片っ端から面白そうなソフトを輸入しまくり。そしてその時に購入したAdobe Illustrator 1.6Eが運命の出会いだったわけ。


(ジェイン)どうして?

(海津)このソフトと出会わなかったらMacも挫折して理解するのはずうっと後のことになっていたと思うから。

(ジェイン)マスターも早かったわけだ

(海津)いや、周りにユーザーはいないし、デザイナーやイラストレーターで通信をしている人も皆無の時代、基本を理解するのに半年ぐらいかかった。そして。なんとなく使えるようになったときに偶発的にステップ・バイ・ステップという雑誌で「ティップス」の原稿を連載することになったわけ。それでも記事が書けるほど今とは違って機能はシンプルだった。

(ジェイン)「ポテトチップス?」

(海津)Tips

(ジェイン)「マックで…?」

(海津)Windowsにもあるし、家電にもあると思いますよ。

(ジェイン)?????…

(海津)#&!2D=%?

(ジェイン)だんだん話が分からなくなってきた。

(海津)「ティップス」とはマニュアルに載ってない裏ワザや技法みたいなもの。

(ジェイン)今は裏ワザばやりだけど、コンピューターの世界もそうなんだ。

(海津)それの連載や「ティップス」をまとめた本(自分の著書)などの仕事が突然増えたという感じ。

(ジェイン)それで、有名になっていったの?

(海津)私はちっとも有名じゃないよ。その時、どの程度がティップス(裏ワザ)なのか、どれが裏ワザになるのか考えるのが面倒くさくなっちゃって。だって自分にとって普通のことがある日突然別の方から「それ凄い技ですね」って言われることがチィップスだから、自分では当然気が付かないわけだし。
いつも持ち歩いている怪しいネタ帳



(ジェイン)仕事のやりすぎね。

(海津)ずっと、悩んでいた。

(ジェイン)ずっと?

(海津)つまんなくなってたんだ〜。

(ジェイン)マンネリって思ったの?

(海津)「ティップス探すことは自分のやりたいことではない」ということが辛かったのかも。そんな時に、たまたま他の人が書いた記事を読んでみたら、自分の作品の解説を書いた記事があったんだ。

(海津)それが、吉井さんのだったんだけど。


(ジェイン)幸子さんの旦那さんね。

(海津)そうそう、宏さんの方。アゴスト関係で、気が付いたらペインターなら吉井さん。イラストレータとフォトショップなら海津って事になっていた。

(ジェイン)幸子さん、ジェインは好きなんだ。ゆったりした人だから。

(海津)そうだね。幸子さんは人気者だよ。で、宏さんとはイベントで一緒になる事がやたら多くなって、ちょくちょく電話するようになったんだ。

(ジェイン)一緒が多かったんだ。

(海津)で、最初に、吉井さんの記事読んだ時は、「こういうのを、書いている人もいるんだ〜」と面白かった。

(海津)当時はその記事が新鮮だった。チィップスじゃなくて作品の制作過程というのが。


(ジェイン)吉井さんも詳しいんですね。

(海津)彼はものすごい勉強家だからね。自分もそういうのを書こうと思った。自分の作品の制作過程を。そしたら編集部からOKが出たので、後はズルスルと爆発しただけ。

(ジェイン)すぐ爆発しちゃうのね。

(海津)私、岡本太郎が好きだから爆発は得意。そして最初の本が凄く売れてびっくりしたんだ。自分としては既成概念を壊したかった一存で作成した本なんだけど、凄く偶発的にそんなわがままが受け入れられてしまったわけ。担当の編集者がバックアップしくれなかったら私は今も本を書いていなかったかも。

(ジェイン)海津さん、日記書いてるよね、毎日。

(海津)まさかこんなに続いているなんて、中学の国語の先生が知ったら卒倒するかも。

(ジェイン)辛くない?

(海津)今年からは毎日というルールは撤廃しちゃったし、続けていたときも、最初の半年が辛かっただけ。後はものすごく楽ちん。ずうっとコラム執筆連載の依頼待っていたりするんだけど、なかなか来ないですね。メーリングニュースは幾つかやってますけど、純粋なコラムではないので逆に大変なんだ。

(ジェイン)私はやり始めてまだ1年だけど、辛〜い。

(海津)もちろん忙しい時など、どうしようもない時はあるけど、そうでなかったら、精神的にリラックスさえしていれば5分であの程度は書けますよ。何か書こうと構えてしまうから書けなくなっちゃうんだよ。

(ジェイン)みんなも、よく続くねって感心します。

(海津)例えばイラストも毎日描いてアップしているけど、それだけだとコミュニケーションは生まれにくいと思うんだ。文章で生身の部分が見えてこないとね。だから大切だと思う。もちろん読んでくれないと意味無いけど、それも気にしすぎると書けなくなるよ。

(ジェイン)海津さんは、何時から始めたの?

(海津)2000年の1月位から

(海津)サイトでやってのるは、吉井さんに焚きつけられて始めたんだ。彼は私にとっては焚きつけ魔だね。もっとも私も色々と焚きつけてるけど。

(海津)ブログの真相は、私と吉井さんのプログは同じ場所にあるの。で、最初に友人のライターでデザイナーでカメラマンの諫山研一さんから「場所作ったから遊んで〜」と言われたのに、直ぐには手を付けずに、吉井さんにこんなのあるよと伝えたら、吉井さんが興味を示してくれたので諫山さんが作成してくれて先に爆発しちゃって「海津さんなんでこんなに面白いことやらないの」って、焚きつけられたのが経緯。プログの前にやっていた毎日更新フォトイメージング(画像合成)も吉井さんの焚きつけ。

(ジェイン)この頃よく聞く言葉だけど、さっぱり解らない。

(海津)大丈夫。私もプログはほんど解っていないから。

(ジェイン)あ〜、難しい。コヒュータ関係は専門用語がたくさんあって…。

(海津)解らないことが有るのは当然。私だって解らないことの方が多い。だから気にしない。解らないことは聞けばいいし、インターネット使えば調べるのも簡単。最近は小学生も宿題に利用するらしいですよ。

(ジェイン)4年間も日記なに書いてたの?

(海津)日記なので、日常のちょっとした事だでも気が付いたことなどを中心にウダウダと。リラックス出来ればネタは幾らでもある。道ばたの季節の花でもいいわけだから。ただ、今はまるくなったけど、以前は自分の考えをストレートに爆発させ、随分誤解されました。

(ジェイン)ペン(キーボード)で吠えてたの?

(海津)吠えるというよりキーボードを激しく叩くといった感じかな。タイムリーな表現を使うと「気合いだ〜」かもね。

(海津)例えば、カラーマネージメントのMD研究会のメーリングニュースで連載を持っているんだけど、僕のスタンスっていうのは、「直接光であるモニターの色合わせは、反射光で見る印刷物の色会わせよりも辛い」なんだけど、この部分だを強調して書いてしまうと、細かい説明が見えないから誤解が生まれる。誤解が生まれると陰口が発生するというわけ。

(海津)要するに正しく伝えるためにはコラムで衝動的にものは書けないと言うことを学習したわけ。まっ、仕事で書いているコラムじゃないからいいんだけど。

(ジェイン)今後の展望とかは?

(海津)何時までも夢を持っていた時代のままでいたい・・・かな。子供のままの気持ちでいたい。もちろん現実世界で生きているわけなんたけど、いつもあたまの隅に自分だけの不思議な世界を夢見ていたいですね。今、私のブログで毎日のように発表している3Dキャラクターもその片鱗なんだ。それと色々なことにチャレンジしたい。コンピュータの世界ではなく、料理や工作、手芸に木工とか、とにかくモノを作ると言う行為全般に興味は衰えていないので、チャンスがあれば色々とやったみたい。今はそんな事を夢見ています。

(ジェイン)じゃ、趣味は料理とかそんなの?

(海津)ちょっと前は図書館通いと100円ショップ見学。今は、ヘチマ栽培と白玉お菓子作りですね。爆発してます。




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