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第14回 アーティスト対談 『イラストレーションと宇野亜喜良』  

 宇野亜喜良
(ジェイン) 宇野さんは20歳の時東京に出てきたんですよね。

(宇野)   カルピスに知り合いがいて、入ろうとしたんだけど。
     すぐに入れる(入社)って話しだったけれど、半年から1年待たされて・・。

(ジェイン) その間、何してたんですか?

(宇野)   コルゲンコーワのカエルのイラストレーション募集に応募して・・・。

(ジェイン) 和田誠さんと二人で受賞されたのですね。

(宇野)  カルピスでは広告課って言ってたような気がするけど、デザイナー3人の宣伝課。


(ジェイン)最近かっこいいイラストレーターいませんね。

(ジェイン)どうすればかっこよくなれるんですか?


(宇野)「ウゥ~ん」難しいね。

(宇野)今はイラストって言うけど、僕らは世代はイラストレーションって言ってる。

(宇野)イラストっていうと、誰もが簡単にできそうな感じがするでしょ。軽くて・・。           今はそういう風に変わってきてるんだね〜。

(宇野)僕らの時代はイラストレーションがちょうど市民権を得たところ。幸福な時代だったと言えるけど。


(宇野)当時は、寺山(修司)さんが舞台をやれば横尾忠則や僕がポスターを作って、それが天井桟敷的と言われたりしてね。

(宇野)演劇や音楽もジャンルは違ってもやりたい事は一緒だった。あるセンスがあれば、表現方法が違っても同じかっこいい事ができたんだね。

(ジェイン)宇野さんは舞台演出など演劇をやっているのは、よく知られているけど、音楽もやってたんですか?

(宇野)昔、一柳瑟(オノヨーコの前のご主人)と横尾さんと僕の3人でグループサウンズをやろうと言って、インドの楽器シタールを持ってきてたりしてたんだ。

(宇野)ジファーソンみたいなのがいいと言ってたけど、一度も練習しないで終わった。

(ジェイン)その頃、眉毛剃ってたんですか?

(ジェイン)当時、眉そって真似した「宇野亜喜良スタイル」が若者の間で流行ったんですね。


(宇野)「……(笑)」

(ジェイン)どうして、眉をそったの?

(宇野)その頃、仕事はやる気がなくて、毎日楽しんでいて遊んで眉をそったんだと思うよ。

(宇野)作品がよくなくて、仕事が無くて。

(宇野)描くときに新しいものが出てくる快感が無いし、今までのものを再版していた様な時代ででね…。

(宇野)ヒマだったから遊びでやったんだよ。



(ジェイン)趣味は無いって聞いてましたけど?

(ジェイン)好きな事は、全部仕事にしてしまうんですか。

(宇野)そう〜ねぇ〜!。



(ジェイン)(事務所がすごくりっぱですけど)いつからここにいるんですか。


(宇野)前、自宅でやってた事もあるんだよ・・。




(ジェイン)ほんとにかっこいいイラストレーター(スター)がいない様に思いますが・・。

(宇野)イラストレーションと現代美術とどこかつながっている様で、今、面白い人はいないね。

(宇野)僕も、昔ね、かっこ良くない職業を選んじゃったし、かっこ良くない生き方をしてきたからね。

(ジェイン)みなさん、「かっこいい」って言ってますよ。宇野さんの事。

(ジェイン)それが(その生き方が)みんなが、かっこいいと思って、眉までそって真似してたんでしょ。



(宇野)僕は、宇野亜喜良商店の作品を買って貰って、自分自身の美学を売る職業だと思っているんだ。

(宇野)仕事の依頼を受けた中で、どのように自分を表現できるか…、それが勝負。

(宇野)まあ〜ぁ、それに尽きる〜。

(宇野)比較的、マイナーな事が多いかな。


(宇野)仕事は、本の装画や小説の挿絵が多い。僕が描いてきた絵は、現代小説・恋愛物・純愛・SM、なのに子供の本(絵本)もあったりして。

(ジェイン)え〜。


(宇野)編集者が僕の中の可能性を見出して、それなりに解釈を加えて作品を作る。

(宇野)多様性をもった仕事をしてるんだ。

(宇野)僕が会社にいた頃、ちょうど旭化成やトヨタのデザインのチーフをやっていて・・。

(宇野)1963年に、横尾忠則とNYで話題だった、「プッシュピンスタジオ(ポールデービス他3人組))みたいなスタジオを作りたいねって事になって。

(ジェイン)何する、スタジオなんですか。

(宇野)ポールデービス、シーモアクアスト、ミルトングレイザーの3人で作ったスタジオ。

(宇野)イラストレーションをうまくグラフィックにしていった人たちなんだよ。

(ジェイン)「良いデザインでまとめていく・・」そういう人たち?

(ジェイン)センスが良いんですね。


(宇野)そういうグループを作りたくて、スタジオ「イルフィル」を銀座に作ったんだよ。

(宇野)おたくの(ジェインの事務所)直ぐ近くでしょう?

(ジェイン)うれしい。

(宇野)ビルの6階でエレベーター無しなんだよ

(ジェイン)勝ってる、ジェインの所はエレベーター無しの2階です。

(宇野)すごい古いビル

(ジェイン)また、勝った。うちは、もっとぼろぼろビル。プレハブビルってとこで〜す。

(宇野)赤い絨毯を敷いて、猫足の白いラッカー塗りのテーブルを置いて…。

(ジェイン)え〜、可愛くしてたんですね。

(宇野)広さが3畳から5畳しかない様なとこだったんだ。

(ジェイン)そんな狭いところに、誰といたんですか?。

(宇野)横尾さんと原田君(原田維夫)それと僕。

(宇野)60年代の後半から、イラストレーションが面白くなって来た時代。

(宇野)「話しの特集」「平凡パンチ」などいろんなビジュアル中心の出版物が出てきた頃。


(宇野)デザインより、むしろイラストレーションの方が面白い事ができたと思った。

(宇野)その頃、横尾忠則の活躍とかで、イラストレーターが大衆的なジャンル、音楽でいうと軽音楽みたいな軽い文化として確立されていった。

(ジェイン)イラストレーションも、文化の一部として認められていたんですね。



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