Bartok Gallery  イラストレーターがスターだった時代があった 
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椎根和
元マガジンハウス取締役編集総局長
Hanako創刊編集長、relax創刊編集長。5年間猫相手の生活後、
現在は横浜中華街で気楽に中華薬茶の喫茶店を開いている。

第2回
 三億円事件が起った頃(1968年)、イラストレーター横尾忠則のポスターは世界中で評価されはじめた。横尾は海外での評判にはあまり関心がない素振りで日本のテレビに出演していた。私は当時、若者週刊誌『平凡パンチ』で横尾担当として週に二、三回は彼の事務所に通っていた。国会議事堂の近くにある都(みやこ)マンションの2階に横尾事務所があった。ドアを開けると左右にひとつづつ部屋があり、横尾さんは右側の部屋で、次から次とやってくる打ち合わせ、電話、作品制作等、テンテコ舞の日常だった。左側の部屋はいつもシーンとしていて電話の音もしない。
 しかし時々、遠慮したような感じの低いドラムの音がする時もあった。ある日横尾さんに、「隣の部屋は何の部屋ですか?」と尋ねた。「あぁ、あの部屋にはオイカワくんがいるんだ。音楽が好きでねぇ」横尾さんと同じイラストレーターで、マンション賃貸料を二人でシェアしているという。私は特集記事のネタにつまると、横尾さんに相談してアイデアを得ていた。編集者の私にとって、ラクで自由、そばからみていると手抜きの作業のように見えたかもしれない。
 三億円事件の犯人は、その時も現在も逮捕されていないし、事件も時効となった。なんとか犯人にインタビューしたいが、不可能だ。そこで私は横尾さんに「ボクが横尾さんにいろいろ質問しますから、横尾さんは三億円事件犯人になったつもりで答えてください。架空インタビューということで・・・」「あぁ、いいよ」そして特集5頁分のインタビューが終わり。私が「じゃあ、顔写真もないから、犯人の顔と部屋もイラストで描いて下さい」と虫のいい事をいったら、「そこまでやれないよ」「コマったなぁ」すると横尾さんは「オイカワくんに頼めば・・・。あまり忙しくないから・・・」じゃあ、とすぐ隣りの部屋へ行って、なりゆきを説明して、イラストを頼んだ。顔写真、資料いっさいなし。締め切りは2日後、といって社に戻った。2日後、銀座の編集部で待っていると太ったカラダに疲労感をまとわりつかせてオイカワくんがイラストを持ってきた。この架空インタビュー記事は、編集部でも好評だった。オイカワくんのイラストも、現実と非現実の間のリアリティがあり、よかった。.
この仕事の4、5年後、オイカワくんはある映画情報誌の表紙イラストを描きはじめた。その雑誌の名は『ぴあ』。オイカワくんこと及川正道さんは、もう30年以上『ぴあ』に超有名人の似顔絵を描き続けている。多分、スタアたちと一度もナマデ顔合わせをしないで…。
































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