Bartok Gallery  イラストレーターがスターだった時代があった 
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椎根和
元マガジンハウス取締役編集総局長
Hanako創刊編集長、relax創刊編集長。5年間猫相手の生活後、
現在は横浜中華街で気楽に中華薬茶の喫茶店を開いている。

第3回
 鈴木康司ことコージズキン。イラストレーターとして1960年代末から仕事を続け、現在では童画のほうでも数々の作品を描いている。
 彼は昔からボヘミアン風ファッションで、いっさい悪意とか作意をもたず人間関係をつくってきた。シンプルに言うといつもヘンな格好をしているが、性格は赤ちゃんみたい、ということになる。パーティなんかで会うと、つい最近までオモチャのラッパを吹きまくって場をメルヘンチックにしていた。

 画風というか絵のタッチは、あくまでヨーロッパの中世の魔術師や妖怪が大集会を開いているような雰囲気だが、これはデビュー当時からそうだった。ぼくが平凡パンチのために赤坂の飲食店のイラストルポを描けるイラストレーターを捜していたら、赤坂でテンプラ屋の出前もちをしながら、すごくいい絵を描く若い人がいるよ、と友人から教えられた。
 もちろんすぐ、その仕事をコージズキンに注文した。出来上がってきた作品は、日本の街とはとうてい思えない、怪奇調のAKASAKAになっていた。赤坂の料亭なんかも、ルーマニアのドラキュラ伯のお城の様であった。でも文句のつけようのないオリジナリティがあった。紹介してくれた友人に、コージズキンはどこであんな絵を習ったの、と聞いた。

 カレは独学でやってきたが、今はセツ・モード・セミナーで授業を受けているという。正式に入学したわけじゃないが、校長の長沢節さんが、お金がなかったら払わなくていいよ、とモグリを公認したので、セツの人気者になっていると説明してくれた。もちろんコージズキンの才能を認めたから、月謝ゼロにした長沢校長。それに甘えるような甘えないようなノンシャランな態度で生きられるモグリ学生のコージズキン。どんなに苦労しても絵の質のよさと人柄は、ずっと変化しない。

いち度、新宿のディスコで午前五時までぼくとコージズキンが踊り明かした。ぼくは女のコと知りあい中よくなった。そろそろ帰ろうといってタクシーをひろったら、コージズキンも乗りこんできた。ぼくがキミは帰りなさいといっても「ボク家も部屋もないもん」と言う。しかたがないから、三人でひとつのベッドに寝た事があった。こんな事があっても、コージズキンと喧嘩したり、悪感情を持つことはなかった。きっとコージズキンは、つまらない世事を、中世時代のどこかに忘れてきたのにちがいない。絵は、その事を証明している。
 













































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